闘病日記
人間生存本能とは不思議で、覚えていると生きるのに支障をきたす記憶は、どうやら勝手に封印するようだ。ふっと振り返った時、過去4年分の記憶しかなかった時はゾッとした。 10代の頃つき合っていた彼は、足が不自由になり始めた最初のころは理解(?)があ…
ブログでも以前伝えたが、医学には西洋医学と東洋医学の2種類ある。 ◆西洋医学とは◆ 風邪や頭痛などの病気やケガで通う病院が西洋医学。病院で処方される西洋薬(新薬)は人工的に化学合成された物質で構成されていて、ケガや病気の症状ピンポイントに合わ…
東洋医学と出会ったのは偶然だった。 今でも通っている東洋クリニックは、呪いの呪文に怯えつつも社会復帰をしてから初めて正社員として勤めていた会社のお客様だった。今ではもう少しスタッフの数が増えているけれど、20年前の出会った当時は、スタッフ数も…
宣告の2年が経過しても歩行はできている。それどころか順調に体力も筋力もついてきて、正社員として働きながら資格学校に通うほど多忙な生活が過ごせているのに、どうしても医者の言葉が頭から離れない。 若干の麻痺や動きにくい関節はあるけれど、それでも…
母体から元気よく「オギャー」と産まれることは当たり前ではない。五体満足健康に産まれることは当たり前ではない。奇跡瞬間だ。だからこそ、母親に感謝を忘れてはならない。 今日働いた五感が明日も動く保証はない。いつどんな瞬間にあったモノをプツリっと…
人間の体は不思議なもので、感覚が鈍くても動くといった機能は死んではいない。 ボクの足は恐らく、17歳で手術した後から麻痺が発症するまでの2年間、いやその後の期間も入れると約3年くらいは、感覚が鈍かったけれど動いていた。 つまり、最初に触感が奪…
2年以上・・・いや1年以上か、社会からプッツリと離れると復帰が怖い。目まぐるしく変化する世の流れは、1年もあれば色々ガラリと変わっていて、馴染むのが容易ではないと思っている。 ボクが就職した時はまだ辛うじてワープロの時代。社会から離れている…
リハビリに通いつつ2週間に1回のペースで診察を受けるを繰り返す日々を送っていたボクは、どうにか松葉杖なしでもゆっくりなら歩けるレベルまで回復したんだけど、動けるようになればなるほど腰痛が激しくなる。 医師曰く「神経ブロックの後遺症として腰骨…
投与始めて3ヵ月がたった頃、サーモグラフィーに映る足の温度色に赤が増えた。これは血流が改善しつつある証。皮膚の色も目に見えて肌色になってきていたし、感覚は鈍いままだが足にほんのり温かさを感じた。体温が感じることがこれほど幸せなことなんだと…
神経ブロックは骨にあたるように注射を打つから、投与した薬が最初に触れるのは骨。ヘルニア治療でも限度回数が5回を目安とされているが、ボクの場合は異例の週1ペースで半年間も投与しつづけた。宣告通り腰の骨はボロボロに溶けたし、皮膚がドス黒くなり…
治療の方向は「血行改善」なので、新たな治療法は【下半身交換神経ブロック(※)】という治療方法となった。最初に麻痺が発生したのは19歳。下半身ブロックの治療に辿りついたのは23歳。時は4年も経過していた。 この頃のボクはもう、正常に稼働しているパ…
死にたいと、「死ぬこと=全てからの解放」即ち、全員が荷を下ろせるのだと思っていた。でもどうやら、その考えは間違っていたみたいだ。 天職を捨ててボクの傍で支え続けた母も、愛車捨てて環境を整えてくれた父も、巻き込まれて色んな目で見られただろう。…
動物が大好きな母は、ペットショップは天職だと、毎日仕事が楽しそうだった。車が大好きだった父は、仕事車のダンプも自家用車も、時間をかけて自分好みにカスタマイズをしていた。でもボクが麻痺になってからは母は退職し、父は夜勤のない仕事へ転職し、自…
父も、母の退職と同時期に転職をしていたことを随分後になって知った。 私の足に異変が始まる前まで、父は自営業を営んでいたしダンプの運転手だった。ダンプの運転手とはいわゆる「土木業」。当時は建設現場が多く、廃材を捨て場に運ぶダンプの繁忙期は梅雨…
服薬を始めてから1週間が経った頃、麻痺範囲が遂に右肩まで広がった。麻痺の始まりは右足のつま先から足首だった。熱湯事件から2年で、首から下の右半身は全滅になるほど麻痺範囲は広がっていた。 医師に相談してみたところ、新しい薬が追加されたが麻痺範…
熱湯事故から1ヵ月は経っただろうか。麻痺感が強くなり最早無痛。皮膚の色も痣色ではなくドス黒い色へと変色。 この体に何が起きているのかを、誰でもいいから教えてくれ!それしか頭に浮かばなかった。 とにかく検査を求めて、大学病院を次々にあたった。…
「この場合何科なんだろう。」と思い、近所の総合病院へいってみた。初診の時に書く問診票を書いていて「あ。」と気づいた。【直近で大きな病気やケガ】【手術歴】・・・!!!ある!2年前に手術した。しかもまさに痣色の部分!まさか???と、その病院を…
「できる限りのことはやったけれど、如何せん前例がないので、私の方ではこれ以上は何もできません。」と、何人の医師に言われただろう。 同院内で科を転々とさせられたり、同科内でも3ヵ月毎に「ボクは移動なんで」と医師が変更したりと、落ち着かない環境…
これはあくまでもボクの経験に基づいた見解なので、誤解をしないでほしい。 「五体満足健康に揃っていて、自由に自力で動かせる」体の持ち主を、世間でいう【健常者】ならば、「下半身麻痺」のボクは【障害者】だ。 【健常者】にとって【障碍者】は「かわい…
或る日から、「ごめんね」が母の口癖になった。 毎回、病院に同行してくれる母。病院からの帰路中、ずっと母は「ごめんね」を繰り返し常に下を向いていた。 ボクが過呼吸で苦しんだ時も「変われなくてごめんね」と言った。ピクリとも動かないボクの足をマッ…
担当医が変わる度に服用する薬のレベルが強くなり、服用する量も増えた。これがダメなら次はこの薬。服用だけでダメなら投与も併用など、「前例がないから」を言い訳に下手な鉄砲を撃ちまくる医者。まるで人体実験だ。 「移動の時期だから」と数か月おきに担…
法則性もなく体中に激痛が襲われる日々は続いていたけれど、痛いからと引籠っているわけにもいかない。あんなに痛い思いをして治療をして歩けるようにまでなったのだから、引きこもりたくはない!医者の言った「保って2年」は頭に引っかかっていたけれど、…
相変わらず服薬と診察は必要だがリハビリの甲斐あって、近隣なら松葉杖なくても歩けるくらいまで回復した。が、新たな問題が発生。 突然、折れた並みの激痛が、電撃の如く体中に走るようになった。これが、何をしたら・・・という法則性はない。 「動かない…
神経ブロック治療を開始してから半年、遂に中止になった。 注射を打つ場所である脊髄付近の皮膚が真紫のカチコチになり、これ以上続けるのは危険と判断されたのだろう。正直、布一枚触れるだけで激痛だったし、腰もグラグラしていたので、僕自身これ以上耐え…
ほぼ全身麻痺状態だったボクの体だが、麻痺の始まりとなった下半身から治療を行う事になった。 治療時には、治療前後の体温変化を測るためにサーモグラフィーが設置された。注射を打つ場所は椎間板ヘルニアの治療と同じ場所の【脊髄】。これが、大の男でも声…
新たな治療法 通院を再開し、通う科が「神経外科」へ移動。そこである仮説が言い渡された。 仮説はこうだ。 きっかけは、初めて手術への緊張による血管の萎縮。術後は暫く述部を固定し安静生活を送るから、当然体は動かさない。その影響で筋肉も固まる。結果…
あれから更に探しまくり、もうこの県には訪ねてない病院がないのでは?と思った頃、ようやく検査を受け入れてくれた病院が見つかった。 ひとまず映像系の検査に加えて脳波や血管なども検査したが、ここでも異常は見当たらなかったのだが、医師は血管の異常な…
もう、病院を何件尋ねたのか覚えてないくらい大学病院を周り歩いた。その間も麻痺は進行し、最早両足とも動かないような状態まで悪化していた。そんな時、なんとか原因究明に協力してくれそうな医師で出会えたは奇跡だと、これできっと何かが変わると安堵し…
もう何件病院を回っただろう。最早忘れたし数えるのも面倒になった。世の中こんなに病院があるのに、医療は日々進歩してるのに、なんで何もわからないんだろう。 ついさっきまで動いていたモノが秒後には糸が切れたように動かなくなる。こんなのは正常じゃな…
「とりあえず検査を・・・」の病院はあったが、「異常はないですね。他をあたってください」ばかりで、何一つ進展はなかった。 「原因究明に進展がない」とは逆に、異変だけはしっかり日々進んでいた。右足がピクリとも動かなくなっただけでも異常なのに、遂…