ねぼすけのひとりゴト

日常で思ったことを気ままに書いてる”ボヤきブログ”です。

「闘病」の経験はボクの生涯の財産です

なんの罰なんだ!と思うほど、辛く絶望感しかなかった闘病生活は、今思えば、当時のボクには必要だった学びの時間であり、そこで得たモノは結果、ボクにとっては大きな財産になっている。

下半身が麻痺し始めた当初のボクは10代。
友人・恋人と過ごす日々が充実に感じていて、おしゃれも楽しみたい年頃だったからかもしれないが、麻痺を知った途端に一人、また一人と離れて行かれることに、とても傷ついた。
治療の通院も最初は希望を持っていたけれど、思うような治療結果も得られないことを繰り返し、徐々に麻痺範囲が広がり、広がるにつれてできないことが増えていく自身にイラつき自暴自棄にもなった。
けど振り返ってみると、これから社会に出ていく年齢という時に、「闘病」というボクの人生最大の分岐を迎えられたのは、寧ろ幸運だったように思えるほど、失ったモノなどとても小さく感じるほど得たモノはとても大きいと思う。

もしも麻痺をしていなかったらボクは、なんとなくで生きる、薄っぺらで空っぽな人間のままだったと思う。

闘病によって価値観を大きく変えたのは3つ。

一つは【時間の使い方】
今日の今この瞬間が五体満足動くからといって、明日も同じように五体健康で動くとは限らない。そんな確約は存在していないんだとボクは思い知った。だからこそ、今この一瞬一瞬を、全力で楽しまないと損だなと考えるようになった。

二つ目は【仕事に対する責任感】
闘病前はラクで稼げれば内容なんてさほど気にしてなくて、仕事を楽しむような自分はいなかった。
闘病生活数年を経ていざ社会復帰できた時は、自分が知っている頃とは社会情勢は変わっていて、なかなか順応できない自分に焦りを感じたけれど、「できないことが多い自分」はもう嫌だったから、たとえ苦手分野だったとしても一つ一つ与えられた仕事に喰らいついた。
生きた技術や知識は現場にしかないから、職場でひたすら技術や知識を吸収して「できる事」をドンドン増したら、まだまだできる!って欲がでて、もっと仕事をくれといわんばかりに行動が積極になり、自分の専属の仕事が増た。増えればそれだけ忙しくて大変にはなるんだけど、ボクは負けず嫌いなので、やってやろうじゃないか!と常に結果に拘った。仕事を楽しいと思ったのは、この時が人生初めてかもしれない。結果を出した時の達成感を知ったらもう、道中の苦労に懲りずにまた挑んでしまう。まるで登山家。その繰り返しがマルチに働けるボクを作ってくれたので、この経験値は宝物です。

そして三つ目は【価値観】
闘病から復帰したとはいえ、ボクには漢方・鍼・お灸がないと日常生活に支障がでるほど、良くも悪くも外的影響が出やすい体質。今は割と漢方を服用しているなんて珍しくもなくなってきたけれども、まだまだ東洋医学は一般的ではない。日ごろから漢方を飲んでると「何の病気なの?」と聞かれるから、「病気にならないために飲んでいる」と答えると、理解できないというような顔はされる。

誰がどう思おうと、周りの感覚からズレたボクであろうと、ボクはボクのままでいいのではないか、他人の目なんかどうでもいい、頑張ってまでもそこにある輪に入ろうとは思わなくなった。例えボッチになっても関係ない。どれだけ周りに合わせて空気読んでも、結局、離れていくものは離れていく。
「縁」とは頑張って得るものではなく、自然と導かれたように引き付けあうものだと思うから、ボクが楽しいと思える方向に進んでいけば、自然と成長させてくれる「縁」に出会えるんだろうと思うようになったら、楽に呼吸ができるようになった。

自分自身が周りを見るときの目にも変化があったように思う。
以前だったら人の目を気にしていたから、目の前で具合が悪そうな人がいても遠目で見ていたけれど、今はスッと手を出せる自分がいる。そこに恥ずかしがる自分はいない。
障害を持った人がいても、「手伝ってください」と、本人に言われなければ手は出さない。だって自分勝手にできないと決めつけて代わりにやってしまうと、その人のできる事を奪ってしまうかもしれないから。そんなの「いいことをしたぞ!」っていう自己満足にすぎないのではないだろうか。少なくともボクは、自分なりの工夫で「できること」を、「できない」を決めつけられて奪われるのは不快だったから、ボクはそれをやらない自分でありたいと思った。

苦痛・苦悩が沢山あって、絶望の淵を5年も歩いてきたけれど、結果的に「闘病」は、ボクの内面を成長させてくれた。人生の分岐と思えるほど大きな選択を迫られる経験をした人は、世の中にどれだけいるだろうか。ボクは幸せな経験を積ませてもらえたと、「闘病」に感謝している。