Nebosukeの引籠り部屋

日常で思ったことを気ままに書いてる”ボヤきブログ”です。

無くならない「いじめ」問題

 

「いじめ」「差別」とは、いつの時代でもなくならい。
心狭く、蹴落とし合戦で生きているのは恐らく人類だけだろう。
それも平和な国ほど必ずある。脳みそが暇なのだろうか・・・。

 

昔と違い、ネット社会が広がり、学校の中でも「裏サイト」というものが当たり前のように存在する時代が今。故に、「いじめ」が陰湿になってきているなと感じるのだ。

 

例えば無視や仲間外れ。
教室全体の生徒が、一人の生徒にだけ無視をしていたら、流石に誰でも気づくだろう。

では、クラスのグループLINEから特定の生徒だけブロックしてたら・・・?
流石に第三物は気づけない。

 

例えば悪口。
裏サイトに匿名で悪口を書き込んでたら・・・?

 

第三者が気づいたとして、なにかとコンプライアンスやら○○ハラスメントという壁にぶつかる時代だ。
確たる証拠がなければ下手なことも言えないし、そこまでの熱血教師なんて、今では珍獣級なほど稀。
世の中の成人者なんて、事なかれ主義ばかりだ。

 

そもそも「いじめ」はなぜ起きるのか疑問である。
嘘つきや自慢ばかりな鬱陶しい人など、学校に限らず十人十色。
自分と合わないのなら関わらなければよいではないのか?
結局「いじめ」にはちゃんとした理由なんてなくて、大半は精神が育ってない幼稚な者の、自己中心的な憂さ晴らし手段なのではないだろうか。

 

覚えておいてほしい。
実行した者にとって一時でも、「いじめ」を受けた側にとっては、その後の人生を左右するほど大きな事件なのだ。

 

体に受けた暴力は、後の大きな後遺症になり、下手すれば日常生活に影響がでる。
言葉の暴力は心の大きな傷となり、対人恐怖症や精神的な病を生み出す。

 

ボクも中学生の2年間、いじめを受けていた。
理由なんて知らない。
朝一緒に登校した友人が、数時間後にはボクがボコられるのを見ている傍観者側に立っていた。
同学年全員+教科担当+担任が敵になっていた。
これほど悪夢の事はない。

 

精神面の打撃とボコられ過ぎたからなのか・・・中学生時代はボクの記憶から抹消された。
ボクの防衛本能が処分したのだろう。
どんな学校だったかはあるけど、人物が根こそぎない。

ボクは理由の知らぬ「いじめ」によって、記憶奪われ、歩行困難になる引き金を体に残されたのである。
これが受けた側の傷痕なのだ。

 

改めてボクは訴えたい。
気に入らないのなら、わざわざ関わるな!
見てみぬふりをした傍観者も共犯同然なんだと自覚しろ!

残りの人生全部をかけて被害者へ責任をとれ!立派な傷害罪だと認識しろ!

 

人の何かを奪う権利は他人にはない!

よく覚えておけ!