
恐らくボクは今、分岐点に立っている。漠然とだけど、なぜかそんな気がした。
もう諦めてこのまま何もせず、脳も心臓も麻痺するのを待つのか、”わけのわからないなにか”に殺されてたまるかと足掻くのか。当然だけど選んだ先の未来は全く異なる。
異なるけれど、どちらかは必ず明るいとも限らない。もしかしたら選んだ先で両方が繋がっているのかもしれない。それは誰にも分らない。わからないけれどボクは諦めない道を選んだ。その道を選んだ理由はただ一つ。母にもう一度笑ってほしかったから。
出産経験のないボクには、実際のところはわからないけれど、「出産」って母体となる母親も、産まれてくる新命も、どちらも命がけの大変なことなんだと思う。
母体は十月十日という長い時間をかけて体内にいる新命を守るけれど、オギャーと産声をあげて産まれるまでは、いつ何が起こるのかはわからないほど危険が伴う。出産時、出産後に母体が危険になることだってある。それでも産んでくれたくれたのだから、母に「まともに健康に産めなくてごめんね」など、責任を感じてほしくはない。
ボクは母に感謝の気持ちしかないのだから。
母への想いも含めてそうだけれど、この”わけのわからないなにか”は、色んな意味でボクの世界をガラリと変えた。最も大きく変えたのが「価値観」だと思う。
麻痺する前は友達や恋人など「人」への依存性があったボクは、嫌われたくないと合わせている傾向があった。でも麻痺した途端皆あっさり離れていった。街を松葉杖であるけば好奇な目でみられ、倒れても誰も手を差し伸べることはなかった。そんな経験から「ボクはボク、人は人」という考え方がボクの土台になり、異存もしないし合わせない。病人や怪我人がいれば声をかける。そこに「見てるだけのボク」も「手助けすることに周りの目を気にするボク」もいない。
”わけのわからないなにか”は、ボクが持っていたものを根こそぎ奪ったものであり、負けず嫌い根性に火をつけた”憎き試練”ではあるけれど、同時に、大きな学びをさせてくれたものでもある。”わけのわからないなにか”がやってこなければ、ボクはもっと視界の狭い生き方をしていたと思う。変な言い方だが、ボクにとって”わけのわからないなにか”と向き合った瞬間が人生の分岐点に立った瞬間であり、選んだ道は間違ってなかたんだと、今ではこの闘病を誇りに思っている。